古代人が愛した石
ヒスイと日本人の関わりは深く縄文・弥生時代から利用されているが奈良時代以降、昭和の初期までその存在は忘れられていた。しかし、昭和十三年八月十日に再発見され今では日本・東洋を代表する宝石として親しまれ愛されている。
比較的低温(300℃位)で、地下100㎞程度の高圧状態で生成すると考えられている。地表付近でも、ある程度の圧力(プレート境界での岩石どおしの破砕による摩擦力の.高圧)と、その際、発生する熱の条件で生成すると言われている。しかし、物体に圧力を加えれば高温になるはずであり、翡翠生成における「低温」「高圧」条件については、今だなお不明な点は多い。
硬くないが堅い石
硬くないが堅い石…。禅問答みたいであるが、この石の特徴である。硬さというのはモースの硬度であらわされる。モースの硬度で言えばヒスイは6.5~7.0ぐらいになる。この硬度は石としては決して硬いわけではない。石英は7.0、長石は6.0である。石英と長石はどこにでもあるような鉱物で、それと同じ位の硬さしかないという事は傷つきやすいという事である。しかし、かたさには、もう一つの「かたさ」がある。それは、「堅さ」言い換えると壊れにくさ、加工しにくさである。こちらの方は、ダイヤモンドを凌ぐ程の堅さがある。であるので、ヒスイは硬くないが堅い…そういったものである。
ヒスイの産地
日本のヒスイの産地は、新潟県糸魚川市姫川流域、北陸の海岸や富山県の宮崎・境海岸(ヒスイ海岸)、兵庫県養父市(旧大屋町)、鳥取県、静岡県引佐地区、群馬県下仁田町、岡山県新見市の大佐山、熊本県八代市泉町などであるが、糸魚川市姫川流域以外ではいわゆる宝石質の翡翠は産出されない。
その名の由来
ヒスイは漢字で「翡翠」と書く。二つの文字に「羽」という字がついているのである羽に関係していると思われるが、その羽を持つ鳥は「カワセミ」である。この翡翠はヒスイと読むが同時にカワセミとも読む。カワセミはスズメほどの小さな鳥であるが、たいへん綺麗な羽の色をしている。
この翡翠という漢字は雌雄を表していて「翡」が雄。「翠」が雌である。こういった熟語は「麒麟」、「鳳凰」などにも見られ、同様に前の文字が雄、後ろの文字は雌である。また、翡翠という漢字は雌雄だけでなく、色も表している。「翠」は緑色、では「翡」はというと知らない方が多いと思われるが「翡」を少し分解して非に糸偏をつけると「緋(ひ)」と読み赤色という意味がある。なぜそうなるかと言うと、多くの方は翡翠は緑の宝石だというイメージがあるが、オレンジ色、赤っぽい色の翡翠も存在する。実のところ、昔、この石には名前がなく、名前がないと呼ぶのは不便なので、何か適当な名前をつけようと考えた。その時に思い当たったのがカワセミという鳥であった。カワセミという鳥は背中が青緑色、お腹がオレンジ色である。
ヒスイ製品が使われた時期
翡翠がたくさん出現するのが縄文時代中期(約5500年前~4500年前)である。遺跡からたくさん出現するのは、縄文時代後期(約4500年前~3300年前)のはじめぐらいの遺跡が多い。それでは、いつから翡翠が使われるようになったかと言うと、縄文時代中期以前ということは確実だが、いまひとつあいまいで、今後の研究が待たれる所である。
古代における”アオ”その色へのこだわり
古代におけるヒスイは、特に色に由来するものが重要となる。例えば、古代の遺跡から発掘される勾玉の多くは緑色である。他の色のヒスイが存在するにも関わらず玉となるものは緑色である。糸魚川の海岸や川にはラベンダー、白色、黒色などの別の色のヒスイが数多くしているが、それらを選別して、なお、緑色にこだわって神器に使用している。
古代人はなぜ緑色に、こだわったのか。古代において緑色をミドリとは表現せず、”アオ”と呼ばれていたようである。では、青(アオ)とは、どういったものであるのか、また、その意味するものは何か。物事の始まりは、言葉が最初である。言葉はすなわち、音である。最初の音は「あ」という音である。それで「アオ」とは始まりと言う意味を持ち、「ある一定の方向に向かって集中した力を発揮するベクトルをもつ」その青(アオ)は、水の色であり、海の色であり、宇宙空間の色でもある。
古代の特別な人達(伝統を備えた工人)は、このヒスイと他の石を選別する事が出来た(鉱物学的にでもなく、数値的にでもない。すなわち科学的でないという事)もちろん、選別に慣れると言う事はあるのかも知れないが、それだけでは説明がつかない部分がある。明らかに、その人達は、この石を”分ける”事が出来る能力を持っていた。古代の特別な人達の脳の中には、その事を、前者から受け継いでいた。この事は石を選別するだけではなく、形を整えることにまで及ぶ。ヒスイの組成は肉眼では見ることが出来ないが、それを、その脳を持つ者たちは鑑得する事が出来る。重要なことは我々、現代人は万世一系というわけではないが、脈々とこの特別な能力を持つ人達の脳を知らず知らずのうちに受け継いでいるのである。