勾玉専門店 国産糸魚川ヒスイの原石を用いた勾玉造りを京都最北端の地”丹後”にて行っております

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羽衣天女

   乙女神社

京丹後市峰山町大呂に伝わる羽衣伝説をご紹介したい。これは、全国に伝わる羽衣伝説のひとつであるが伝説の中に隠された真の意味はあまり知られていない。

はじめに、羽衣伝説の概略を述べる。むかし、比治の里に三右衛門という狩人が住んでいました。ある日、三右衛門はいさなご山の頂きの池で水浴をする八人の天女を見かけ、その羽衣の一つを隠しました。三右衛門は羽衣を隠された天女を連れて帰って妻とし三人の娘をもうけました。天女は農業や養蚕、機織り、酒造りが上手で、この家はもとより比治の里はたいそう豊かになりました。しかし、天恋しさに耐えかねた天女は、三右衛門の留守に娘達から隠し場所を聞き出し、大黒柱の穴にあった羽衣を身につけると、外から戻った三右衛門に「月七日に会いましょう。」と再会を約し、 大空に舞い上がっていきましたが、三右衛門は「七日七日に会いましょう。」に取り違え、以後、年に一度再会することになったという。天女の娘の一人を祀ると言われる乙女神社では、お参りすると美女が授かると言われている。

この伝説の面白いところは、羽衣伝説と七夕の織姫と彦星の話が融合している事にお気づきだろう。どちらの伝説も大陸からの影響を強く受け、中世に創作された話である。丹後の羽衣伝説では、伝説に登場する狩人「三右衛門」の後裔と伝わる「安達家」という家が実在する。この家では旧暦にあたる8月6日に羽衣天女を祀る祭礼が行われており、祭礼の際、掛け軸、弓矢等の資料も公開されている。

この天女伝説では、中世の話と受け取られがちであるが、最も重要な事は8人の天女が天から降りてきて農業、養蚕、機織り酒造りなどの文化を伝えたという事である。時代背景は中世ではなく古代までさかのぼり「月の輪田」の所でも述べたが、東北地方より豊受大神が来丹した事を暗に伝えているのである。豊受大神に付き従った従者達(天女達)は東北へ帰る事無く当地に定住しており、この歴史的事実が中世におとぎ話と融合しているようだ。

いさなご山には天女が水浴をしたと伝わる「女池」が存在する。山頂より尾根つたいに少し降って行くと、熊笹の群生地となる。更に進むと円形の杉の木に囲まれたひらけた場所に出る。そこの円の中心に向かって、すり鉢状に人工的な窪みがあり、年中水が絶える事のない池がある。これが、女池である。豊受大神の時代より古く、八神である「メの命」が天降った場所とされている。古代、古神道の奥儀に「太占(フトマニ)」なるものが存在しているが、女池はフトマニを具現化する場の一つであったのである。このフトマニを運用したのが、豊受大神であり、その奥儀は当地域で天照大神に伝えられている。ちなみに、女池の他に男池なる池の伝承もあるが、現在、その池の存在は確認されていない…。

豊受大神の来丹の足跡は丹後各地の遺跡から知る事が出来る。内容が膨大になるので、他項で述べて行きたい。丹後には数多くの伝説・伝承が存在するが、個々の伝説はそれぞれ独立して存在しているのではなく、それぞれ関連性があり、この関連性を読み取っていく事で真の意味に迫る事が出来るのである。

玉匠:青舟

   

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